御由緒・御祭神

「浅間さん」と親しみ深い尊称で古くから地域の皆様に称えられておりますが、本来の御号は「丸子神社」・「浅間神社」と定められており、一扉二社という形でお祀りされています。

毎年9月15日の例祭並びに例祭後の日曜日に行われる神輿渡御は氏子崇敬者により盛大に斎行されます。
また、6月30日の夕刻に斎行される「夏越大祓式・輪くぐり式」は2,000人を超える参拝者で賑わいます。
また、境内には色鮮やかな早咲きの桜があり、3月上旬から彼岸に開花し、ソメイヨシノより一足早く春の訪れを知らせてくれます。

丸子浅間神社の歴史を知る

丸子神社

丸子神社は「金山彦尊」をお祀りする神社で、剣・鏡・鋤・鍬を鍛える守護神とされ、鉄工業の進歩発展に広く御恵みを御授けになられました。

「金山彦尊」の神話は こちら


延喜式神名帳(西暦927年)に所載される「式内社」であり、その創建は第10代崇神天皇(紀元前97年~30年)の御代とも伝えられ、駿河国沼津堂敷免(現 沼津市丸子町)に奉斎されました。

第62代村上天皇、第96代後醍醐天皇の御代には天下泰平・武運長久の御祈祷所を仰せ付けられましたが、江戸時代の火災により焼失し、浅間神社に御遷座され一扉二社という稀有な形式で御鎮座されております。
なお、現在は再建され、丸子町、浅間町、どちらにもお祀りされています。

浅間神社

浅間神社は容姿端麗な女神とされる「木花開耶姫命」をお祀りする神社で、縁結び・安産・子育ての守護神として尊崇を受けております。
その美しい姿から桜をあらわす神様であり、富士山の神様とも伝えられております。

「木花開耶姫命」の神話は こちら


富士山の恵みに感謝すると共に、噴火の鎮護として篤く信仰(富士山信仰)されておりましたが、延暦20年(西暦801年)、坂上田村麻呂が東征凱旋のおり、狩野川の右岸(現 沼津市宮町)に浅間神社として奉斎され、建仁3年(西暦1203年)に現在の浅間町に御遷座されました。
近代では明治天皇が御通輦のみぎり官幣使を御差遣になられております。