丸子神社の神様「金山彦尊カナヤマビコノミコト」の神話

『古事記』では、伊邪那美神が、火の神である迦具土神(カグツチノカミ)を生んだ後、病に臥していた際、嘔吐したものから生まれた神といわれています。
鉄工業など、鉱山、金属や、それに関する技工を守護する神とされています。

丸子浅間神社の歴史を知る

丸子神社

丸子神社は「金山彦尊」をお祀りする神社で、剣・鏡・鋤・鍬を鍛える守護神とされ、鉄工業の進歩発展に広く御恵みを御授けになられました。
延喜式神名帳(西暦927年)に所載される「式内社」であり、その創建は第10代崇神天皇(紀元前97年?30年)の御代とも伝えられ、駿河国沼津堂敷免(現 沼津市丸子町)に奉斎されました。

第62代村上天皇、第96代後醍醐天皇の御代には天下泰平・武運長久の御祈祷所を仰せ付けられましたが、江戸時代の火災により焼失し、浅間神社に御遷座され一扉二社という稀有な形式で御鎮座されております。

浅間神社

浅間神社は容姿端麗な女神とされる「木花開耶姫命 」をお祀りする神社で、縁結び・安産・子育ての守護神として尊崇を受けております。
その美しい姿から桜をあらわす神様であり、富士山の神様とも伝えられております。

「木花開耶姫命」の神話は こちら


富士山の恵みに感謝すると共に、噴火の鎮護として篤く信仰(富士山信仰)されておりましたが、延暦20年(西暦801年)、坂上田村麻呂が東征凱旋のおり、狩野川の右岸(現 沼津市宮町)に浅間神社として奉斎され、建仁3年(西暦1203年)に現在の浅間町に御遷座されました。
近代では明治天皇が御通輦のみぎり官幣使を御差遣になられております。